よなが伴病記
yonaga


1992年〜
前兆
1998年〜
発症
1999年〜
再発
2008年〜
再発
2009年〜
手術中止
2010年〜
副作用
2011年〜
再発
2011年11月
頚髄症
2012年
MRI結果


更新情報 : 2012年 8月28日  日本整形外科学会HP (頚椎症性脊髄症) リンク。



1998年(平成10年)発症以来、永遠の友、永遠の侶 ?? になり、頚髄症に至った病気 (頚椎
椎間板ヘルニア・頚椎症性神経根症) との付き合いの記録へ、HP[岡山の風開設の経緯
交えてまとめています。
 
諸事情で、2008年(平成20年) 8月 3度目の再発時に身の周りの多くの人に知れ亘るまで、
病気のことをほとんど口外していなかった為、[岡山の風]開設以後、HP・Web上でも (^b^)
ひみつにしていました。
 
闘病記的に綴るのは、おこがましいとも思いましたが、自分自身の記録を兼ねて綴っています。
発症前の「前兆」から長々となりましたが、身をもった経験と、病院 ・治療院の先生からの説明
などをご紹介し、「こんなことが原因!?こんな症状が前兆!?」と、予防・早期受診のご参考
になり、また同じ病、似た病の方とも、思いが共有できれば幸いです。
 
1992年(平成 4年)頃 =頚椎椎間板ヘルニア発症6年前頃。 Top
胸から背中にかけて激しい痛みを感じ、2つの大きい病院で心臓(心電図)、肺(レントゲン)検査
・診察を受けましたが、心臓・肺とも異常なし。
 
同時期に、会社の健康診断で、たまたま不整脈があり(この時だけ)、当時の自宅(コーポ)近くの
個人医院(内科、簡易的な外科治療)で、携行式24時間心電図測定を受け、ニトログリセリン錠を
処方されました。
 
心電図に異常なく、ニトロも効いたか効いてないか判らない状態で、「心臓は異常なし」と、"寝た
がい"か咳き込みによる胸骨の痛みと診断され、湿布を処方されました。
  
以後、年に数回、胸から背中に加え、首の付け根に痛みが出始め、徐々に痛みが増して来てい
ましたが、年に数回、忘れた頃に痛む程度だった為、"寝たがい"の診断を疑いもせず、処方され
るまま湿布を貼っていました。
 
1992年(平成 4年) 
これまた同時期に、大腸ポリープ(あずき大3個摘出)・胃潰瘍等、内臓系の病気を一度に患い、
6ヶ月の自宅療養。
 
復帰後、趣味の写真撮影を中止し、新たに配置された現在の職場 (駐在先) で仕事に邁進。
   = 実務、各仕様書の作成・改定、御契約先との連絡調整・提言、等
数年後、駐在先社屋の新築移転に伴う御契約先と会社の連絡調整。
    
1997年(平成 9年) 6月
高卒後の陸上自衛隊入隊から現職での出張等で岡山県内外を転々としましたが、岡山市内で
6年間のコーポ暮らしを最後に、現住所 (当時、借家)へ息子と帰住。 両親と同居。
  
数ヵ月後、左手小指に強い痺れを感じはじめた為、現在 (15年来) お世話になっている掛かり
つけ整形外科医院を受診。
レントゲン診断の結果、「頚椎椎間板症」と診断されました。
  状態 = 第5頚椎・6頚椎(首の付け根)の間が狭くなり、頚椎から出ている神経を圧迫・刺激
        している。
  治療 = 牽引・電気(患部周辺に電極を貼って血行を促す)・投薬 (月3〜4回)
  
先生 「なんで、こうなるまで放っておいた?」「なんで早く来なかった?」
専門医での早期受診がいかに大切か、大切だったかを痛感しました。
 
レントゲン撮影後 「もともと背骨(脊柱)が歪んでいる?」とのこと。
思えば、集合写真・証明写真などでも、肩の片方が不自然に上がり、健康診断等でのレントゲン
撮影時、必ず肩の位置を修正されていました。
・・・首(顔)を真っ直ぐにすると、肩の片方が上がる。 Top

身をもって、当時3歳の息子には常々「背中を真っ直ぐ!顎を出さない!」と
姿勢に気をつけ、注意してきました。
お読み頂いている方で、小さなお子様、成長期のお子様をお持ちの方は、
くれぐれも姿勢 (背筋) に注意してあげて下さい。 
 
今は、テレビ・インターネット等でも、「頚椎・脊椎」のことを多く取り上げられ
ているので、ご承知されていると思いますが・・・
背筋を真っ直ぐ伸ばして顎を引く。 テレビ画面・パソコン画面などに熱中し、
猫背、顎が出た (首:頚椎が後屈する) 姿勢は、危険!です。
 
その他、常に一定の方向に脚組みをする、常に一定の手・腕で重い物を
持つ ・ 提げるなど、背骨がS字になる姿勢が継続すると、危険!です。
筋力が衰えるにしたがって頚椎の他、脊椎 (椎間板) にズレが生じます。

休養、約1週間の安静を勧められましたが、勤務継続。
  
1998年(平成10年)
賃貸を止めると言う家主さんから、息子と帰住する3年前に立て替えて頂いた借家を買い取り、
定住。(買取後、全額負担(借家時は高卒後より折半))
 
職場(駐在先)社屋の新築移転に伴う諸準備も落ち着き、コンパクトデジタルカメラを購入して
写真撮影を再開。 
Top
1998年(平成10年) 7月
頚椎椎間板ヘルニア・頚椎症性神経根症を発症。 頚椎MRI撮影。
  症状 = 左肩から左腕・指先まで神経が剥き出しになったような (麻酔をせず、歯の神経を
        グリグリグリグリ抜かれているような)痛み。
        左腕・左手指の感覚・運動麻痺。(全く感じない、全く動かない)
        首をわずかでも動かしたら更に痛みが増しました。
  状態 = 第5頚椎・6頚椎間の椎間板(軟骨)が上下に押し潰され、亀裂から髄核(椎間板
        の中身:ゼリー状)が漏出。
   
   ●首から下の全神経が集中・密接している部位で手術で大小の障害が100%出るうえ、現在
     の痛み・症状が更に増す可能性もあるため、手術は最終手段。
     手術 = 喉から胸を切り開き、食道・気管とともに脊髄・神経群を除けて患部を切り取る為、
          脊髄・神経群を除ける際にダメージを与える。
   ●安静治療で経過観察。
   ●痛みが激しい時・激しい間は絶対安静(動かない) 
   
幾分か痛みが和らいだ後、A病院へ入院。(入院:1ヶ月、自宅療養:1ヶ月)
  入院時の検査で、胃潰瘍・十二指腸潰瘍と診断され、併行して治療。
  原因 = 掛かりつけ整形受診まで、市販の鎮痛剤を服用し続けていた為。
 
入院中の或る週末に痛みが最高潮に達し、当時の執刀予定だった国立病院へ 「週明けに
転院」 と搬送手続きをして頂いた後の土日に、何事もなかったように痛みが治まり、転院・
手術が取り止めになり、安静治療を継続。
    
退院後、掛かりつけ整形にて保存治療継続。  
以後、自転車・バイク厳禁。  
    自転車 = 首への振動、転倒時の首への衝撃。  
    バイク = ヘルメットによる首への負荷、振動、転倒時の首への衝撃。  
  自動車はヘッドレストへ頭を密着させて(首の負荷を抑えて)乗る。  
  
以後、再発・入退院を繰り返し、かつてはフィルムカメラを引っ提げて岡山県内を縦横無尽に
走りまわっていた写真撮影を断念
  
1999年(平成11年) Top
頚椎椎間板ヘルニア・頚椎症性神経根症 再発。(診断) 
頚椎・腰椎各MRI撮影。 = 腰椎異常なし。
「約6ヶ月の入院安静」の診断で発症時の入院先と違う大規模なB病院へ入院。
入院時、「今時、安静治療で半年も入院させる病院はない、一生治らない病気、安静も手術
も無駄、手か足が動かなくなったら手術してあげる」等と言われ、1週間半で退院。
 
陸上自衛隊(衛生救護)で年に何ヶ月かの持ち回りだった医務室勤務時にしていた医療報
酬計算(レセプト)の医療点数知識も加わって 「今時は医療も利益主義か、安静治療など
点数が低い患者は歓迎しないということか」 と、医療自体に不信感を抱いてしまいました。
(後々お世話になる大学病院で、その不信感などは吹っ飛びました。)
  
退院後、掛かりつけ整形の先生より、「引き続き安静療養すれば、完治に近い状態まで治まる。」
「今、復帰すれば、脊髄の手前で留まっている椎間板が持ちこたえられて10年」と、約6ヶ月の
自宅療養を勧められました。
 
当時5歳だった息子のこともあり、「あと半年、家で安静療養する」と親に告げたところ、当時は
医者知らずだった親に 「家の払い、生活費はどうするッ、入院もしないで家でブラブラするなど
許さン、(障害・半身麻痺など) 医者の言うことを真に受けるなッ、なった時に考えろッ」等々と、
厳しく叱咤・激励??
   
生命保険の入院・通院特約、当時会社で加入していた休業補償保険等で、費用面は心配あり
ませんでしたが、私も感情的に「そうなるまで働いてやるッ、そうなって文句を言うなッ」と叱咤・
激励?? に応えました。
 
会社が 「引き続き、完治に近い状態になるまで休め」 と、有り難く決めてくれていた病欠・休職を
「症状が治まりました」 と返上し、復帰。
それまで支えてくれた同僚・後輩・会社と、入院中・退院後に、お見舞い、有り難いお言葉を頂いた
御契約先へ恩返しする一心で仕事に邁進しました。
 
  治療 = 牽引・電気 (患部周辺に電極を貼って血行を促す)温熱 (患部周辺に温熱パットを
        巻いて血行を促す)・投薬 (月2〜3回)
  処方 = ボルタレンSR カプセル (鎮痛・消炎剤)
        メチコバール錠500ug (神経障害治療薬)
        アリナミンF糖衣錠25mg (ビタミンB1誘導体製剤)
        その他、抹消循環障害治療薬、急性胃炎・胃潰瘍改善薬。
 
  小学校の高学年以後(それ以前は記憶にありませんが)、「頭が痛い」「腹が痛い」などと言えば、
  「情けねぇ」(父)、「あちこち痛ぇ言われなっ」(母)などと、病気は"気"で治せと厳しかったので、
  元々体の不調は口にしませんでしたが、復帰後、休日にグッタリとテレビを観ながら、うたた寝を
  をしていると、「そんな格好で寝て、あちこち痛ぇ言ゅなっ」 と背中を足蹴した為、それ以後、病気
  のことは家でも一切、口にしませんでした。
    
2000年(平成12年)以降
牽引後、頚部・後頭部に鈍痛を感じる為、牽引治療中止。
 
2000年(平成12年)― 2002年(平成14年)頃
再三、「仕事を休め、入院を」 と言われていた掛かりつけ整形の先生に 「再々休めません」「再々
入院できません」 と反発しながら仕事に邁進。
     
左手・左腕の痛み・痺れ、首の付け根・背中が焼けつくような痛み、後頭部・背骨を小槌で叩かれ
ているような痛みなどの症状が、ぶり返しては治まるを繰り返す中、発症時の生き地獄のような
痛みが出るのを恐れ、「処方・市販薬の中で最もキツく、副作用が最も重大で多岐に亘るので痛み
が出た時にだけ服用すること」 と言われていた 「ボルタレン」 を常用。
   
  後々、歯科医院を含む各病院の先生が一様に 「ボルタレン!? どうされたんですか?」 と驚か
  るので、相当キツいことを改めて認識しました。
   
  「空腹では服用しない。食後でも牛乳で胃に膜を作ってから服用すること」と言われていたので、
  牛乳を飲んだ後にヨーグルトといっしょに服用しています。
  
  「首に衝撃を受けた場合は首から下が全麻痺。最悪、心停止」 とも告げられ、何か残して Top
  おきたい!と、ネットアルバム[風光 岡山](Photo Highway)を作成。 
  それまでに撮影した花々の写真、岡山県内の風景写真を [かつての趣味] としてご紹介しました。
    
2002年(平成14年)― 2005年(平成17年)頃
首・腕・の痛みが殆どなくなる。左右の腕・手指(交互)の感覚麻痺は継続。
 
2005年(平成17年)以降
首・後頭部、左右の腕・手指(交互)の鈍痛が再発。
  
2005年(平成17年)
同僚・後輩・会社、ご契約先への恩返し一心で仕事に邁進しながら内心、自暴自棄になって
いた中、自身も病気を持ちながら 「あきらめたらいけん!」 と県内外の治療院を探してくれて
いた友人が、治療院 (瀬戸内市邑久) に連れて行ってくれました。
しかし「そこまでの状態になっていたら首は触れない」ということで、手足・背中のマッサージ
だけして頂きました。
  
治療院の先生曰く
追突等、激しい衝撃ではなくても、机の角・柱などで頭を打って 「痛ッ」という
程度であっても、椎間板へわずかなズレが生じた場合、筋力の衰えとともに、
姿勢の悪さなどが加わったら、そのズレが大きくなって、突出する場合がある、
とのこと。
  
この時、「(後々お世話になることになった)大学病院のT先生が、脊椎整形外科の権威だから、
診てもらいなさい」 とお話がありましたが、当時、医療自体へ不信感を抱いていたので、 「手術
の時は、掛かりつけの先生から紹介して頂きます」 と答えて留まりました。
  
治療院への道中、旭に光り輝く川沿いの道で 「きれ―ぇなな―ぁ、また写真撮りたいじゃろう!」
と言ってくれた友人の言葉が、写真撮影再開の原動力を与えてくれました。  
ネットアルバムの作成で、ノートへ記していた撮影データを追いながら当時の愛機へ触れていた
ことも相乗して写欲が再燃
 
2005年(平成17年)12月24日
頑張っている自分へのマイプレゼント!と一眼デジタルカメラを購入。
  
2006年(平成18年) 1月 2日 写真撮影再開
車の遠乗り、長乗りができなくなったのを逆手にとり、「身近」を新たなテーマに、身近な風景・花々
を撮影。
    
2006年(平成18年) 1月20日  HP[岡山の風] 開設。
 
2007年(平成19年)
首・後頭部の鈍痛・激痛、左右の腕・手指(交互)の鈍痛・激痛が再発。
 
電気治療後、頚部・後頭部に鈍痛を感じる為、電気治療中止。
  
2008年(平成20年) 5月
薬疹 (首〜両腕上腕部〜背中〜腰へ発疹・みみず腫れ)
某内科外科医院受診。
塗り薬 約3週間で治癒。 原因(診断)= 鎮痛剤他による薬疹
  
2008年(平成20年) 6月下旬
背中から胸へかけての痛みが激しくなる。
  以後、首から腰へ冷湿布。
    息子がいる時(休日)、起きている時間帯(夜)は息子が貼ってくれていましたが、息子が
    いない時、寝た後は・・・
    湿布3枚の両端を絆創膏でつなぎ、後ろへ少し反りながら両手で肩から垂らせ、腰の辺り
    にくっついたと同時に背中を丸めて貼り付け、仕上げに布団の上で猫のようにゴロゴロ転が
    って密着させ、「一人で首から腰まで湿布を貼る」 業を身につけました。
   
2008年(平成20年) 7月18日〜
処方と市販の鎮痛薬を2−3時間おきに服用。
   Top
2008年(平成20年) 8月 8日
頚椎椎間板ヘルニア・頚椎症性神経根症 再発。(診断) 
頚椎・胸椎・腰椎各MRI撮影。心臓CT・エコー、肺レントゲン・CT撮影。
頚椎以外異常なし。
  症状 = 背中・胸へ鉄筋を突っ込まれてグリグリグリグリ、エグられるような痛み。
        右手・右腕の痺れ、感覚麻痺。
        痛みは処方・市販の鎮痛剤を最終的に1時間おきに服用しても効かなくなりました。
  状態 =4段階 (膨張・突出・脱出・解離) 中、4段階目の解離状態。
       1999年(平成11年)の退院後に医師から言われた通り、首の椎間板が脊柱管を
       突っ切り、脊柱管の中でつぶれて、漏出した髄核が脊髄を圧迫。
       破れた椎間板を修復しようと椎間板 (軟骨) が脱出した状態で骨 (硬骨) が付着
       してきている。=脊髄狭窄。
      
         わかりやすく言いますと、「首の付け根の椎間板が背骨の中に喰い込んで、脊髄が
         首の付け根で砂時計のように括れ、括れた脊髄を椎間板が圧迫している」 状態で、
         その椎間板が喰い込んだ状態で、背骨が固まりかけている。(一体化しかけている)  
骨・神経・筋肉等のリアルな投影画像です。ご気分を
害される恐れがある方は、クリックしないで下さい。
   
  所見頚椎症(神経根症:手指の痺れ・痛み・感覚麻痺)は永遠治癒しないが、ヘルニアは
          解離の状態まで達している為、手術を要する脊髄症状(手足の運動麻痺等)に至る
          危険性がある反面、脊柱管内の血液・脊液が脊柱管内へ漏出している椎間板の髄
          核を溶かし、自然治癒する可能性がある。
    
同僚・後輩・会社、ご契約先への恩返し一心の仕事に加え、 「あきらめたらいけん!」 「また写真
撮りたいじゃろう!」と写真撮影再開の原動力をくれた友人の言葉、光景が頭の中をかけめぐり、
「再々休めません!「再々入院できません!」と反発していた掛かりつけ整形の先生へ、「先生の
言われる通りにします」 o(>o<)o と診断を乞い、自宅で安静療養。
    
2008年(平成20年) 8月12日〜 頚椎コルセット装着(ネット通販にて購入)
  (胸椎コルセットも併せて購入、痛みが増す為、装着せず。)
    
2008年(平成20年) 9月12日〜 腰椎コルセット装着(ネット通販にて購入)
  (脊椎を固定する・安定させる為。)
  
2008年(平成20年)11月12日以降
胸の痛み(脊髄)が殆どなくなる。背中(頚椎)の痛みのみ。
 
2008年(平成20年)11月16日以降
湿布(首から腰)、頚椎コルセットせず。胸・背中の痛みなし。
  
2008年(平成20年)11月18日
下肢の脊髄症状(足の反射異常)進行により大学病院を紹介して頂き、受診。
両手足、反射検査。
 下半身麻痺直前!障害が出ますが、麻痺を食い止める為、空いているところで (年明け)
   一番に手術しましょう。
   自然治癒の可能性もあるが相当期間かかる。
   次回診察時(翌年1月 8日)に症状が治まっていればキャンセルします。
   と入院・手術の予約と説明、手術に備えた諸検査を受けました。
    
「靴の中に氷が入って歩きにくい、歩けない。 溶けて歩けるのを待つには相当の時間がかかる
  ので、思い切って、その氷を取り除きましょう。」
「緊急受入体制をとっておきますから、何かあれば直ぐ来て下さい。」

たいへん失礼でしたが、それまで(前述のとおり)、医療自体に不信を抱き、
大きい病院に良い印象をもっていなく、まして大学病院なんてと、掛かりつ
け整形の先生からの紹介状を持って (~=~) 恐る恐る?訪れましたが、
それまでの印象は一変!
痛み・辛さをわかって頂いた患者の立場で、状態もすごく解りやすく説明
して頂きました。

会社へ手術予約した旨と、診察結果(自然治癒の可能性もあるが相当期間かかる)を報告。
― 最善の選択をするようにと、病欠・休職を必要期間延長。
 
  掛かりつけ整形にて
  処方 = ボルタレンSR カプセル (鎮痛・消炎剤)
        セルベックス カプセル50mg (急性胃炎・胃潰瘍改善薬)
        メチコバール錠500ug (神経障害治療薬)
        ユベラN カプセル100mg (抹消循環障害治療薬)
        アリナミンF糖衣錠25mg (ビタミンB1誘導体製剤)
  
2008年(平成20年)12月下旬
病欠・休職を延長、必要な期間休ませてくれた会社・同僚・後輩のお陰で、生き地獄のようだった
痛みが何事もなかったように治まる。
Top
2009年(平成21年) 1月 6日
大学病院より、「1月14日入院、1月16日手術決定」の連絡を頂く。
12月下旬から痛みがなくなった、1月 8日受診時に、ご相談するつもりだった旨をお伝えする。
 
2009年(平成21年) 1月 8日 大学病院受診。
手術中止
 ●自然治癒する可能性が高い。
 ●下肢の反射異常が継続しているが、頚椎(脊髄圧迫)の治癒に伴い復元するでしょう。
 ●休める(休職が延長された)のなら後6ヶ月安静にし、経過観察しましょう。
   掛かりつけ整形での保存治療を継続して下さい。
    
 「靴擦れの豆がやっと潰れたばかり、座って休めるのなら靴を脱いで、もう少し休みましょう」
   「引き続き緊急受入体制をとっておきますから何かあれば直ぐ来て下さい。」
   
2009年(平成21年) 1月27日以後
  服用 = メチコバール錠500ug (神経障害治療薬)
        ユベラN カプセル100mg (抹消循環障害治療薬)
        アリナミンF糖衣錠25mg (ビタミンB1誘導体製剤)
        (以下、痛みが激しい時のみ)
        ボルタレンSR カプセル (鎮痛・消炎剤)
        メチコバール錠500ug (神経障害治療薬)
  
2009年(平成21年) 7月 7日 大学病院受診。
手術取り止め 
   (掛かりつけ整形での保存治療継続)
 ●今後の生活
   何ごとも、極端な動作・行動は再発の可能性があるが、症状を観ながら除々に行い、
   症状が出なければ問題ない。
    「靴擦れをしたから、もう靴は履かない!ということはできないので、靴の履き方、歩き方
     に注意しましょう」 「裸足で革靴をはいてフルマラソンに挑むようなことはしないこと」
    
 ●今後の注意事項
   1)カラーは、車の運転時を含めて必要なし。痛みが激しくなった時に使用。
   2)軽い痛みが出たら、それ以上は無理しない。
   3)激しい痛みが出たら痛みが治まるまで絶対安静。
    (カラーを着ける、鎮痛剤を飲む)
 「定期的は診察は今日で終わらせて頂きますが、痛みが激しくなった、手術が必要か?と
  いう時は、直ぐ来て下さい。」
 
2009年(平成21年) 9月28日10月18日
ずっと県内外の治療院を探してくれていた友人に、治療院 (岡山県阿哲郡神郷町)へ連れて
行ってもらいました。
 
振動が症状を悪化させ、車に長時間乗ること自体が無理で断っていましたが、痛みがなくなっ
たので、以前から勧めてくれていた気功の治療院へ連れて行ってもらいました。
行き帰りとも長時間の運転をしてもらって、用意してくれていた首と背中のクッションを敷いた
シートで、約20年ぶりに訪れた県北の風景を満喫させてもらいました。
 
2009年(平成21年)10月27日 
  掛かりつけ整形で、「頚椎椎間板ヘルニア」についての完治診断書を頂く。
   
2009年(平成21年)11月 4日
会社へ、頚椎椎間板ヘルニア完治診断書(証明書)提出。
  傷病休職者復職プログラムにつき、本社総務部長と面談。
    
2009年(平成21年)11月 9日、10日
会社にて法定研修 (年度不足分) 受講。
 
2009年(平成21年)11月13日 職場復帰。
 
2009年(平成21年)12月
首・背中(右肩甲骨周辺)の痛み再発。 = 弱〜強
 
掛かりつけ整形
  処方 = オパルモン錠5ug (脊椎狭窄治療薬)
        メチコバール錠500ug (神経障害治療薬)
        アリナミンF糖衣錠25mg (ビタミンB1誘導体製剤)
    
「抹消循環障害治療薬(ユベラN)を、脊椎狭窄治療薬(オパルモン錠)へ変更すれば痛み・
症状は軽減される可能性が高いが、オパルモン錠は、血流を上圧させる (脳梗塞・心筋梗塞
の血栓を溶かす治療にも用いる) 薬の為、けが・病気等で出血した場合、血が止まらない。
大出血(失血)の恐れがある。」 と説明頂きましたが、痛み・症状軽減の為、オパルモン錠へ
の変更をお願いする。
「ボルタレン(鎮痛・消炎剤)は、服用(オパルモンと併用)しないこと。」
Top
2010年(平成22年) 1月21日
  空腹時に胃痛を感じ始める。(吐き気なし)
    
2010年(平成22年) 1月25日
  前日24日の勤務中(夜勤)に胃痛が強くなり、「早期受診!」と、夜勤明けに速攻、J病院受診。
   
  血液検査の結果、ピロリ菌数値が異常に高いので胃潰瘍の可能性が高いと内視鏡検査を
  進められましたが、過去3回、生き地獄?? を味わったので 「とりあえず (先ずは) レントゲン
  でお願いします」 (><) と懇願。
  1月29日レントゲン検査の予約、痛み止め(頓服)を処方して頂き、帰宅。
 
  帰宅後、食事中に目の前が真っ白になり、寒気で食事中断。
  2008年(平成20年)から毎日記録していた血圧 (5回測定して平均値を記録) を3回測定。
  平均値 = 最高血圧:57/最低血圧:37/脈拍:74
  目の前真っ白、ふらつきが激しくなり即、就寝する。 
  当日、排便2回とも、真っ黒の(炭のような)便。
    
2010年(平成22年) 1月29日
  J病院受診。胃レントゲン検査。
  私としては 「早期受診」 したつもりでしたが・・・
  先生に 「なんで、こうなるまで放っておいた?」「なんで早く来なかった?」と言われ、
  (^o-)??えっ
    
  診断 = 胃潰瘍 (直径2cm大の穴、胃の下部へ血が溜っている)
  所見 = 長年服用・常用し続けた鎮痛剤(ボルタレン)で神経が麻痺した中で潰瘍ができ、
        脊椎狭窄治療薬(オパルモン錠)で多量の出血をした。
        鎮痛剤(ボルタレン)・脊椎狭窄治療薬(オパルモン錠)は即、服用中止。
  「今後(25日と)同様のことがあれば迷わず即、救急車を呼び、近くの大きい病院へ行って
  下さい! よく生きていた。」
   
2010年(平成22年) 2月 4日
J病院受診。胃内視鏡検査。
所見 = 胃潰瘍 (直径2cm大の穴)は良性と思われる。出血は止まっている。
      萎縮性胃炎 (胃全体が糜爛状にただれている)
      投薬継続。半月〜1ヶ月ごと血液検査 (ピロリ菌数値観察)
 
2010年(平成22年) 3月10日、4月14日、4月21日
J病院受診。血液検査 (ピロリ菌数値観察)
 
2010年(平成22年) 5月12日
J病院受診。胃内視鏡検査。
診断 = 胃潰瘍完治。良性と思われる。病理検査不要。
      萎縮性胃炎 (胃全体が糜爛状にただれている)
      食道炎(食道穿孔ヘルニア)
      処方薬(胃)以後、服用不要。ボルタレン(鎮痛・消炎剤)服用可。
  
2010年(平成22年) 6月20日
起床時、肩甲骨から背中にかけて痛み再発。(弱)
車両運転時、左右確認中、左側確認時に首から背中にかけて痛み(強)
以後、首だけで左に向けなくなる。(背中に強い痛み)
夜食後、ボルタレン(鎮痛・消炎剤)他、服用。 ― 深夜、痛みがなくなる。
 
2010年(平成22年) 6月29日
掛かりつけ整形受診。
検査 = 頚部レントゲン (正面・両側面・両斜め側面)
      両手足打診(打診器)・両手・指触診(筆先)
状態 = 右側(手指・腕・足)=脊髄神経症状進行(過敏反応)
      左側(手指・腕・足)=抹消神経症状進行(反応なし)
診断 = 頚椎椎間板症性神経根炎
所見 = 第5−第6頚椎が圧迫し、椎間板が膨張、脊椎(外)の神経根を圧迫している。
      MRI診断が必要であるが、脊髄も圧迫されている可能性あり。
      夜勤明け・休日等、コルセットを装着し、首への負荷を抑えること。
処方 = メチコバール錠500ug (神経障害治療薬)
      ユベラN カプセル100mg (抹消循環障害治療薬)
    脊椎狭窄治療薬(オパルモン錠)から抹消循環障害治療薬(ユベラN)
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2011年(平成23年) 8月 8日
頚椎椎間板ヘルニア・頚椎性神経根症 再発。(安静療養中)
  掛かりつけ整形受診。  
  症状
  右腕・右手の痛み・痺れ(激〜強)
      鉄筋を突っ込まれてグリグリグリグリ、エグられるような痛み。
        コルセットを外した途端、一気に痛み・痺れが増す。
        肩から下に降ろしたら痛み・痺れが増す。
        肩から上に上げたら痛み・痺れが幾分か減る。
    指の感覚麻痺。胸部の痛み(強)
  脊髄症状進行。
       手足・指先の反射異常
        不意に物に当る・触ると、手(足)がプルプルッと震える。
        不意に物に当る・触ると、手(足)から全身が捩れる。
       上体の反射異常
        不意に当られる・触られると、全身が捩れる。(背後を通過される時、等)
 
服用 = オパルモン錠5ug (脊椎狭窄治療薬)
      メチコバール錠500ug (神経障害治療薬)
      アリナミンF糖衣錠25mg (ビタミンB1誘導体製剤)
      (以下、痛みが特に激しい時のみ)
      ボルタレンSR カプセル (鎮痛・消炎剤)
      セルベックス カプセル50mg (胃炎・胃潰瘍改善薬)
      
(1回〜2回/月 掛かりつけ整形受診)  
      
2011年(平成23年)10月 中旬
右腕・右手の激しい・強い痛み・痺れ、胸部の激しい・強い痛み治まる。
  首の付け根・胸部・背中の痛み。(弱〜微)  
  手足・指先・上体の反射異常継続。  
       
2011年(平成23年)10月 下旬  
  首の付け根・胸部・背中の痛み治まる。  
  手足・指先・上体の反射異常継続。  
   
2011年(平成23年)11月 上旬  
  右脚 (骨盤辺り〜足先) の痛み。(激〜弱、就寝中等、時々)  
  及び階段を下りる際、右脚痙攣。(時々)  
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2011年(平成23年)11月 9日
掛かりつけ整形受診。
検査 = 両足打診(打診器)、上体・両足屈折
  診断 = 頚髄症頚椎症性脊髄症頚椎性神経根症  
    青地日本整形外科学会HPリンク)
  所見 = 脊椎狭窄による脊髄症に進行。  
     麻痺等、障害が出て手術するか、障害が出る前に手術するか。  
     出現した脊髄症状(麻痺等)は治らない。脊髄は復元しない。  
     手術で大小の障害が100%出る。現在の痛み・症状が更に増す  
      可能性もある。 (頚椎椎間板ヘルニア発症時の所見同様)  
      
以下、受診時の報告用記録を兼ねています。  
        
2011年(平成23年)11月 中旬  
  首の付け根・背中の痛み (弱〜微)  
      
2011年(平成23年)11月 22日 夕  郵便局 (書類郵送、車運転)  
2011年(平成23年)11月 22日 夜〜  
  右脚 (骨盤辺り〜太腿) の痛み。(強〜微、就寝中等)  
  右脚 (膝から下) 感覚鈍化。(膝から下が冷水に漬かっているような感じ、時々)  
  左脚 (骨盤辺り〜太腿) の痛み。(弱〜微、就寝中等)  
     
2011年(平成23年)11月 25日 夜  
胸部、痛み (強) 2時間就寝後、治まる。  
     
2011年(平成23年)11月 26日  
  胸部、首の付け根の痛み (弱〜微)   
  右手、左側3指 痺れ (弱)  
       
2011年(平成23年)12月 11日  
胸部、痛み (強)  
    
2011年(平成23年)12月 15日、 19日  
右脚 (骨盤辺り〜太腿) 痛み。(強)  
     
2011年(平成23年)12月 20日  
掛かりつけ整形受診。MRI撮影予約。  
   
2012年(平成24年) 1月  4日 MRI撮影。  
    
2012年(平成24年) 1月  5日  
両脚 (付け根辺り) 痛み。(強〜弱)  
   
2012年(平成24年) 1月 10日 Top
掛かりつけ整形受診。  
MRI診断結果 > (1月 4日撮影分)  
頚椎の生理的前湾は消失し、後湾となっている。  
C4/5 椎間板突出。  
C5/6 椎間板・骨棘突出。椎間孔狭窄。(読取り医所見)  
掛かりつけ整形の先生からの説明 >  
5番目の椎間板が新たに後方突出し、神経根を圧迫・刺激している。  
  6番目の椎間板が突出、潰れた状態で硬化。  
脊柱管が狭窄し、突出、潰れた椎間板と骨棘(トゲ状態になった骨)が、  
  脊髄の左側を圧迫・刺激している。今のところ、脊髄の損傷はない。  
診断 >  
  頚髄症頚椎症性脊髄症:主診断名  (青地日本整形外科学会HPリンク)  
  頚椎椎間板ヘルニア・頚椎性神経根症  
大学病院受診を薦められる。
 
骨・神経・筋肉等のリアルな投影画像です。ご気分を
害される恐れがある方は、クリックしないで下さい。
 
       
2012年(平成24年) 1月 12日  
  大学病院整形外科へ電話。(再診予約)  
       
2012年(平成24年) 1月 13日  
胸部、痛み。(弱〜微)  
    
2012年(平成24年) 1月 15日  
左足指 (小指側) 突き指感。(強)  
    
2012年(平成24年) 1月 17日  
大学病院整形外科へ電話。(再診予約)  
     
2012年(平成24年) 1月 24日  
掛かりつけ整形受診。  
検査 =両手・指触診(筆先)  
     両足 打診(打診器)・屈折、等  
状態 =両手・指 感覚 異常なし   
     右足 反応なし 押し返す力が低下  
     左足 過敏反応  
       
2012年(平成24年) 1月 24日  
左手 五指 突き指感。(強)  
     
2012年(平成24年) 1月 26日  
掛かりつけ整形受診。 紹介状受領。  
    
2012年(平成24年)2月 7日  
大学病院受診  
診察時、「ご自身としては手術したい?したくない?」と尋ねられ、  
「できれば、したくありません」と返答。  
現状(脊髄自体の損傷がない状態)で、手術は薦められないので、  
段階的な治療・経過観察をしましょう。  
1.大学病院で処方された鎮痛剤を服用。(2月 7日〜)  
    (ボルタレンほどキツくない、胃に負担がかからない)  
 
処方薬
リリカカプセル75mg (中枢神経系・末梢性神経障害鎮痛剤)
コムスタ錠100mg (胃粘膜保護・修復薬)
  ジェネリック処方=レパミピド錠100mg KRM
 
  2.2月21日・3月 1日診察。  
    痛みが軽減した場合、掛かりつけ整形外科で処方してもらう。  
    保存治療継続。  
3.痛みがとれない場合、大学病院でブロック注射。(3月 1日)  
  椎間板・骨棘が刺激している神経へ直接注射して麻痺させる。  
4.尚、痛みがとれない場合は手術。  
診断 (傷病名)
@ 頚椎症
A 変形性脊椎症
B 頚椎椎間板ヘルニア
C 難治性疼痛
  A「変形性脊椎症」は、MRI診断の通り、椎間板が潰れた状態で硬化した為。
   加齢性ではありません!o(>o<)o f ^_^)
          
2008年6月から毎日記録していた「痛み度合い・血圧・脈拍・体重(各一覧表・
グラフ)、通院等、諸記録」から、上記 2月 7日以降分を転記する予定でしたが、
同データ (2012年4月下旬分まで) がUSBメモリ不具合の為、消失しました。


記録を中途半端に中断したままになり、ご心配をかけ、関係病院から入院、手術のご案内も頂き
ますが、 
こちらの大学病院 で、細やかな診察、親身なリハビリ指導をして頂き、 「今後は直接
来て下さい (紹介状不要)」 「急変があれば直ぐ来て下さい」と言って頂いており、万が一の時は
こちらで手術して頂くと決めていますので、 あらかじめお断り致します。


  

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